梁山城 [1/2] 戦線縮小のため短命で終わった内陸部最前線の城の詳細

梁山城 [1/2] 戦線縮小のため短命で終わった内陸部最前線の城
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記事タイトル 梁山城 [1/2] 戦線縮小のため短命で終わった内陸部最前線の城
概要

梁山城(やんさん)は慶長の役で新たに築かれた内陸部 最前線の城。洛東江と支流との境目にある標高120mほどの独立丘上に毛利秀元らによって築かれ、黒田官兵衛 長政親子が在番したが、直後に発生した蔚山城 籠城戦で東端 西端 北端など補給が困難な地の城を放棄する戦線縮小が進み、翌年3月…… more には秀吉の認可により廃城となった。頂部に本丸を置き、そこから東西に伸びる尾根上に曲輪を配置した典型的な山城スタイルで、戦闘中に意図的に廃城した経緯からか破壊が激しいものの、遺構はそこそこ残る。 <基本データ> ●名称:梁山城 (やんさん うぇそん) ●所在:慶尚南道梁山市 (地図) ●城主:毛利秀元 小早川秀秋 ●築城:慶長二年 (1597) ●遺構:石垣、虎口、堀切 ●情報:倭城 訪問時期:2017年11月 梁山城 訪問記 − 其の一、二。 倭城めぐりの旅 − トップページ。 <訪問記> 梁山城へ。右奥に見える斜面をあがっていく。ここは梁山城の北西に位置する。このビルの裏側にある独立丘へ登る。 しばらくは段々に作られた畑地を通り抜ける。コンクリートで作られた斜面をあがる。 正面の山の上が梁山城。ハイキングコースを示す案内板に沿って進んでいく。 ハイキングコースへ。山をぐるっと歩くようなルートもあるが、右手前に折れ曲がりながら上にあがるルートを選ぶこと。 巨石がゴロゴロしている、やや坂道をずっと上がっていく。元はここも岩山なのだろう、そしてそれらを活用して石垣を築いたのは他の倭城と同じか。 節理で割れたと思われる巨石群。石垣材料を手配するには全く問題がなさそうだ。 しばらく進むと明らかに削平された曲輪跡へ。縄張図を見ると特にこの曲輪の名前は載っていなかったが、ここは本丸方面(正面)と西之丸(後ろ側)を繋ぐ尾根道の中間点にあたるようだ。ちなみに上がってくるとこの写真の右側から出てきて、説明板が右手に見えるので、そのまま右へ進むと本丸方面へたどり着く流れとなる。まずは説明板を読んでみよう。 勿禁 甑山里 倭城 と書かれているが梁山城だ。英文説明版を読む→「梁山倭城とも呼ばれる日本式の砦。洛東江に面し、城域は東西に細長く、周囲は1.5km、面積は29万平方メートルに及ぶ。1598年の日本軍撤退後に城の破壊が始まり、1905年に鉄道が建設されたときに再度破壊された。この城は1598年(慶長3年)に仙台の大名 伊達政宗により築かれたがすぐに放棄され、毛利輝元と小早川秀秋により再建された。黒田父子が在城したが1598年豊臣秀吉の命令により撤退した。」 なんか、いろいろ、おかしい気がする。ちなみに伊達政宗は慶長の役には参戦していない(文禄の役では渡海し金海竹島城で石垣普請をしたという記録が残る)。 では曲輪から奥へ進み、本丸を目指そう。 ハイキングコースの可能性もあるが、石段があり左右に土塁らしき土の盛り上がりも見られる。虎口跡か。 虎口跡らしき石段を登ると正面に石垣が見えてくる。本丸の西虎口跡だ。 突如現れる巨大な石垣。高さは殆ど壊され残っていないが、かなり横に長い。尾根筋の幅をほぼ塞ぐぐらいの石垣が築かれている。 左側を見ると斜面ギリギリまで石垣の壁が築かれている。端っこまで行ってみよう。 本丸西虎口の端っこ(北端)へ。石垣がずっと奥まで続いている。奥は左に曲がっているようだ。こちら側に入口は無い。なお右端は逆光だったため指で押さえて光量をカット。 向かって左側には石垣の割れ目らしき場所があり、実際ハイキングコースとしてはここを通って中に入るのだが、どうもおかしい。これはただ石垣が崩れて(あるいは崩して)作った後世のルートで、本来のルートはこの更に右奥からグルっと回り込むように巨大な食い違い虎口に入る仕組みになっていたようだ。これは上にあがって見返すと分かる。 石垣の割れ目から上にあがって見返す。内側にも石垣があり、左奥は開いていることから、食い違い虎口(あるいは外桝形虎口)の巨大な外側の壁であったことが分かる。今は石垣の上部が崩れ低くなってしまっているため、石垣の壁を「通り抜けて」来てしまうルートになっている。 本丸西虎口を越えて中に入ったところが本丸、とされているが、現場は細い道があるのみ。右側の矢竹の林のような場所が、実は本丸だった。整備されていないと全体的にこうなっていたのだろう。左側の斜面は本丸外周にあたる。元は石垣があったのだろうが、崩壊したか埋まってしまったかで、見当たらなかった。 と思い奥まで行って、見返すと、石垣が露出した場所があった。少し斜面を降りて石垣を見てみよう。 本丸外周石垣の一部。高いところで4段ほど、大抵は2段ほどしか残っていなかった。 本丸の更に奥へ進む。細い尾根のような感じもする道だが、恐らく本丸外周に築かれていた石垣あるいは土塁だと思う。 しばらく進むと開けた場所へ。恐らくここが頂部で、天守台跡とされている場所だろう。左側の斜面をよく見ると石垣らしき跡も見える。少し降りてみよう。 隅石らしき石列。左上の張り出した部分が天守台跡と思われるのだが、豪快に崩壊しているのか埋もれているのか、まったくそれらしい雰囲気は失われてしまったようだ。撤退による破城のためか、あるいは戦後の崩壊や現地人による破壊のためか。 天守台と思われる場所は展望台になっているようだ。 案内板も立っているが訳してみると「遊歩道200m」だった。あくまでここは史跡ではなくハイキングコースということか。そりゃ石垣も壊して道にするはずだ。 奥の木に掛かっていた札。翻訳ソフトで訳してみたが「そこの登りたい山」「増加133m」などと出てきてイマイチ分からない。右端に「山」だけ漢字で書いてある。まあハイキングコースか山の名前が書いてあり、その標高が133.1mだということだろう。結局 城跡や天守台に関する説明は無し。 天守台跡から見る眺望。北方面にあたる。南側が洛東江 方面なので、そちらを見たかった。ちなみに梁山城内ではここ以外の眺望はほとんど無い。 では本丸から更に奥、方角でいうと東方面へ向かってみよう。恐らく崩れた石垣の裏込石を積み上げて作ったもの。 石積で囲まれた石段。遺構ではなくこれもハイキングコース作成時に作られたものだろう。 石段は左に曲がっている。 石段に沿って曲がると、左側の壁面に石垣が! 場所から想定して、天守台か本丸外周の石垣にあたる。奥まで見に行ってみよう。 壁面に沿ってずっと築かれている石垣。 一番隅まで来た。反りの無い、しっかりと割り石で隅を揃えて積み上げられた石垣だ。 曲がった先も石垣が残っているようだが、少し進むと藪藪になり、進めなくなったので本丸外周はここまで。 其の二では更に東へ進み、二ノ丸〜東ノ丸へ。端っこまで行ったら反転して西ノ丸および山麓に残る居館跡を見に行きます。 >> 梁山城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2017年11月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

梁山城 [1/2] 戦線縮小のため短命で終わった内陸部最前線の城
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 倭城
投稿日時 2018-02-27 21:40:01

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